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本屋とか図書館をうろうろしていると、ちょっと興味深い本を見つけて
「おもしろそうだなあ・・・ちょっと勉強してみようかな」
と思う。しかしすぐに
「ま、勉強したからってなんだっていうんだろうな」
と実行する前から心が折れる(笑)
「別にちょっとでも勉強すればその分役に立つでしょうよ!」
って思う人がいるかもしれないけれど、僕はそう思わないようにしている。
仮にある程度勉強したとしよう、じゃあその後どうなるか?役に立つか?
まず証拠がない、自分がそれに相当するだけの知識や実力があるとするならば、それだけの成果や資格が必要だ。
それがなければきわめて抽象的なものとなる。具体的な指標が必要なのだ。
たとえば、文学部卒業の人でいくら数学に詳しいといっても、数学科を卒業している人のほうが数学に関して信頼できる。なぜならば、「数学科」という具体的なフィールドを取得しているからだ。前者は数学に詳しいという’客観的な’証拠がない。
また、英語にかかわる機会が多く英語には自信があるという人よりも、普段英語に触る機会はないが前者よりもTOEICのスコアが優れているという場合、その場で実技試験をして両者を比べない限りやはり後者のほうが優遇される。
このように、客観的なデータ、すなわち資格などを取得することによってその人の「強み」というものがはっきりと明らかになる。
そういった資格などは’ある一定値に到達した’という「証」であるから、その段階に到達することを目指して資格の取得などという本来の目的とは外れたものを目的の一つにしてもよいと考える。
つまり、たとえば「中国語をしゃべれるようになりたい」→「簡単な日常会話ならしゃべれるようになりたい」→「HKS1級を取得しよう」と目的をより具体的なものへシフトさせていくことである。
そこで、最後の目的を大学生にはゆかりある「単位取得」に置き換えてみると、「中国語をしゃべれるようになりたい」→「簡単な日常会話ならしゃべれるようになりたい」→「中国語の単位を取ろう」となる。単位が取れたということは中国語の運用能力がある程度のレベルにまで達したということの指標・証拠なのである。したがって、単位を取ろうという目的は、当初の、中国語である程度コミュニケーションをとれるようになりたいという目的とオーバーラップする部分が大きい。
「皆さんは単位をとるために授業を受けているんですか?」そうでーす
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