子供の頃は別になんとも思わなかったけど、今思うと良くないんじゃないのこれと思うことが4つあるので述べていきたいと思います。

①生徒の回答を黒板に書かせる

これって自分の回答を大勢に発表するってことですよね?正解だったらいいかもしれないけど、もし間違っていたら自分の過ちを大勢に知らしめる…さらし者になってしまいます
②帰りの会の「いい事ニュース・悪い事ニュース」
・誰かがいい子としていたのを見つけたら、帰りの会で報告するというシステム。小学校などであったと思います。でもこの制度によって生徒が”誰かが見ていなければやらない”・”せっかく良いことをしたのに公にしてくれないと悔しい”といった自尊心が膨らむような方向へ作用してしまうのではないか?と思っています。
・悪い事ニュースは、誰かが変なことをしていたら帰りの会で報告して処理してもらうというものですが、チクる人はだいたいいつも決まっていたような気がします。そして、その人は「声を上げれば問題は解決する」と他力本願的になってしまうのではないでしょうか。確かに声を上げることは大切です。しかし、その後実際にアクションしなければ問題は解決されないですよね。
③度を過ぎたいじめ
いじめ自体がおかしいというのは子供だろうがみなさんそう思っていらっしゃると思いますが、僕がおかしいと思っているのは、「学校内部のみの問題として扱おうとしている」ことです。もしトイレの個室に入っている時に上から汚物をかけられたり、持ち物を破壊されたり、暴力振るわれたりしたらもうそれは明らかに犯罪行為ですよね。先生が怒ってどうこうというレベルではない。警察に通報して刑事事件として処理すべきなんじゃないでしょうか。
④道徳の授業
生徒の頃は楽しんで受けていた記憶があるけど、今となってはやる意味あんの?と思ってしまう。一言で言ってしまえば「人間として社会的に生きるためにはどうすべきか」ということを勉強する科目だと考えているが、そんなこと普段の学校生活で身に着けていくものだし、わざわざ授業の時間を割いてやるべきものではない。しかも授業のスタイルは「第3者のある事例を取り上げて、自分だったらどう行動するか?どう行動すべきか?を考える」というものであるが、そんなもの「正解/不正解・善い/悪い」の2元論で語れないし、正解のないものを求めるというのは教育の内容にそぐわないと思う。
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自殺。毎年一定数を記録する。生物的にはしょうがないのかもしれない。だが少しでも減らすには?
こんな法律を立てればよいのではないか?と、昨日寝るときにふと思いつきました。
自殺に対して、罰則を作るのです。自殺とは、自分を殺すことです。殺しはもちろん犯罪です。だから罰則を作らなければならない。
はぁ?もう死んじゃってるんだから罰の与えようがないじゃない。そう思われるかもしれません。しかし罰を与える対象は、自殺者ではなく、その遺族なのです。
そうすれば、「もうこんな世の中嫌だ」と自殺しようとするときに、「俺が自殺したら、回りに迷惑がかかる」と思いとどまるかもしれません。

そんなわけないか^^;
人間を滅ぼすことはないと思う。
よく言われていることで、「いつかコンピュータが人間より賢くなると、映画のターミネーターの用に人間を滅ぼしにかかるかもしれない」と言うことがある。でも、僕はそんなことはないと考えている。

「人間を滅ぼさない」と思った理由は一言で言えば、「コンピュータ自体が目的を持つことはない(と思った)から」だ。
人間をはじめとする生き物は、「種として永く永く繁栄する」ために生きている。これは本能的に生まれもったもので、理由があるとかそういうものではない。我々がしていることは、すべてこのためであるといってよい。
しかし、コンピュータがとてつもなく賢くなったところでコンピュータ自体が目指すものとはどういうことになるのだろう。コンピュータが極めて合理的になるのならば、何事にもある根拠や理由に基づいて動作するはずである。しかし、我々生物の「種として生きつづける」という目的は、「何のためにしているのか」、また「それを果たしたらどのようなメリットがあるのか」といったものがない。本能というものがないコンピュータが果たしてこれを目的として動作するのかということである。コンピュータは外部(人間)から目標や目的を与えられることによって、それを目指すためにはものすごく効率的に処理を行うものであって、それがなければただの箱になってしまうのでは、というのが、私の考えです。

ただ、コンピュータが人間を支配するというのは、あるかもしれない。
いずれコンピュータは人間よりも賢くなるといわれているので、人間がある物事の判断に迷ったとき、コンピュータに判断を委ねたら、それは「コンピュータに支配されている」と言えるのではないか。
1か月以上更新しなかったら広告が出てしまいました…新しく記事を書いて広告を消さねば…

でもネタがない…どうしよう…

そうだ、せっかくだから、「広告」をテーマに記事を書こう。
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2016.01.09 看板
結構すごい(偉い)人と話す機会がある時に,負け惜しみ的にこう思うことがあります。
例えば大学教授がなにか話してるとき…
あの人から,もし、教授という肩書きをとってしまったら、ただの機械に詳しいおじさんなんだろうな・・・^^;
と。
会社の社長や政治家だって、その”社長”や”なんとか大臣”という看板を取ってしまったら,ただの”おじさん”です
そう思うと「何だぁ,自分とあんまり変わらないんじゃん」ていう感じがして,幾分楽になるかも(笑)

逆に、街を歩いている通りすがりの人が,もしかしたらめっちゃ金持ちとかめっちゃ権力者だったりするのかもしれません